辻村深月「早穂とゆかり」(朝日文庫「いじめをめぐる物語」収録)

いじめ

タイトルに惹かれて「いじめをめぐる物語」という本を読みました。7人の小説家による「いじめ」をテーマにした短編を集めた本で、どの作品も胸くそ悪く、良くも悪くも心を揺さぶられましたが、中でも辻村深月さんの「早穂とゆかり」が印象に残りました。

あらすじ

とある田舎で県内情報誌のライターを務める湯本早穂は、仕事でカリスマ塾経営者の日比野ゆかりに取材することになった。2人は小学校の同級生で、早穂はクラスの人気者、ゆかりは冴えない嫌われ者だった。ゆかりを内心小馬鹿にしつつ取材に向かう早穂だったが・・・

本書を読んで気付いたこと

子供時代のスクールカーストは一生ついて回る

読み終わって、早穂に対して「ざまあみろ」と思ったのと同時に、小学校時代の人間関係っていつまでも終わらないものなんだなと悲しくなりました。

早穂は仕事に関して言えば、言葉遣いは適当だわメールに添付するデータ量にも配慮できないわで、ゆかりに「これはお仕事ごっこですか」と言われてしまうほどの実力。はっきり言ってしょうもない人間です。

一方のゆかりは、経営する塾が芸能人や政治家にも評判になり、教育関係のコメンテーターとしてマスコミにもたびたび登場する、社会的成功者です。

それにもかかわらず、早穂はいつまでも小学校時代の人間関係を引きずって、成功したゆかりを滑稽だと見下しては夫や同僚と笑いものにしています。自分は碌に仕事も出来ない癖に、小学校時代は自分はクラスの人気者、ゆかりは冴えない嫌われ者だったから、今でもゆかりより自分の方が偉く、自分の名前を聞けばゆかりは嫌がる、それほど自分は価値のある人間だと無意識に思っているのでしょう。

つまり、元いじめられっ子がどんなに成長して社会的成功を収めたところで、元いじめっ子から見たら滑稽にしか見えないのです。しかしいつまでも過去の栄光に浸り、自分の実力の無さを棚に上げてゆかりを小馬鹿にする早穂の方が人間のあり方としてはよっぽど哀れなクズに見えました。早穂は小学校時代で人としての成長が止まっているのでしょう。

一方のゆかりも、早穂に対して

あなたとの思い出なんて、私には何の傷ももう残さない

そう言ってはいるものの、度々かつての自分がなぜ嫌われていたか自己分析を繰り返し、全力で早穂を相手にして「弱い者いじめのような真似」をするあたり、かなり過去に囚われている感じがしました。

小学校時代、クラスの中で自分がどんな位置だったのか、それを考え、咀嚼し、何度も自分なりの解釈をそこに与えながら、おそらく一生、何かあるたびにあの場所に還りつづける。

悲しいことに、いくら社会的に成功してもいじめの記憶は消えることはないし、当時の劣等感は一生心の奥底にこびりついたままなのです。私も小学校の頃はゆかりのような運動のできない冴えないブスだったからよくわかります。

運動神経の良さと嗜虐性向の強さは比例する説

ゆかりが早穂に対して、このような疑問をぶつける場面があります。

小学校時代のあなたたち、どうしてそんなに他人に興味があったの?(中略)気にくわない子が一人いる。その子が存在している事実それ自体が許せない。そこまで強く相手を嫌って、バカにできる労力は、どこから来るの?

もう、首がもげるほど頷きたくなりました。私だったらたとえ気にくわない子がいても無視してほっておきますが、いじめ加害者たちはなぜその「気にくわない子」にわざわざ時間と労力をかけて近寄り、危害を加えたりするのか、私自身いじめられながらずっと不思議に思っていました。

これは私の実体験に基づく仮説なのですが、運動神経の良さと嗜虐性は比例するのではないでしょうか。

思い起こせば、いじめ加害者、いわゆるクラスのカースト上位に位置して冴えない子をバカにするような人たちは、全員運動神経が良かったです。小学校・中学校時代は勉強ができる子よりもスポーツ、とりわけ球技の得意な子がクラスの人気者であり、同時にいじめ加害者でもあるのです。逆に勉強だけできて運動が全くダメな子供は確実にイジメに遭います。

たまたま私の通っていた小・中学校がそうだっただけで、世の中には運動が出来ないけど頭脳を駆使して狡猾ないじめを行なう者もいるのかも知れませんが、運動神経と嗜虐性の相関関係について誰か研究してくれないものだろうかと思いました。

虚言癖の心理

クラスでのけ者にされていたゆかりは、みんなの注目を浴びようと嘘をついてまで自分は霊感少女であると自称するのですが、その心理についてゆかりが興味深い供述をしています。

つまり、「霊感少女」にならなければ自分の世界は崩壊寸前だった、そして、

こういう性格もクセも不安定さも、現実との折り合いが自分の中でついてくれなければ消えないの。そして、今、私は折り合いがついている

ゆかりは本当はみんなと仲良くしたかった、しかしのけ者にされているのが現実でした。霊感少女を自称していたのは注目を浴びるためでもあったけど、それ以上に冴えない現実から逃れたかったが故の悲しい嘘だったのでしょう。そう思うとゆかりをそこまで追い詰めた早穂たちが許せないし、大人になって社会的に成功して、ようやく現実との折り合いをつけられ、かつて自称霊感少女だったことを早穂にバラされても平然としていられるゆかりは立派だと思いました。

つまり、虚言癖の人というのは、現実では碌な目に遭っていない哀れな人間なのです。ゆかりのように上手く現実と折り合いをつけられないと、虚言癖の人間が幸せになることは困難でしょう。

まとめ

偶然手にした短編集「いじめをめぐる物語」で、初めて辻村深月さんの作品を読みましたが、大変面白かったですし、早穂がゆかりに撃退される様は実にスカッとしました。いつまでも過去の栄光に浸り人として成長していない早穂と、過去のつらい経験を乗り越えて社会的成功を収めたゆかりの対比が絶妙でした。もっと辻村深月さんの作品を読んでみたいと思います。

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