百田尚樹「百田尚樹の新・相対性理論」

タイムマネジメント

日頃から、自分は時間を無駄にして生きていると感じます。朝なかなか起きられなかったり、スマホに夢中になったり。そんな時に書店でこの本を発見、帯に書かれた「時間の本質を知れば、人生が一変する。」という謳い文句に惹かれ読んでみました。

「アインシュタインの相対性理論」と「百田尚樹の新・相対性理論」

アインシュタインの相対性理論は「絶対的に不変なものは光の速度であって、それをもとにすれば時間は伸びたり縮んだりする。更に時間は重力によって進み方が変化する。」と説いています。それに対し百田尚樹の新・相対性理論は「充実した時間が少なければ寿命は短い(時間が減る)。ということは、充実した時間が多ければ寿命が長い(時間が増える)。つまり、物理的な時間が同じでも時間の概念を変えることによって寿命は伸び縮みする。」と説いています。

本書を読んで気付いたこと

時間=命である

本書で著者が一番主張したかったことは「時間=命である」ではないでしょうか。「新・相対性理論」の基本概念は「人間の営みや社会的事象は全て時間が基準になっている」ということであると著者は記しています。私たちは仕事をすることで自分の時間を売り、それで得たお金で娯楽など「楽しい時間」を買います。また、身の回りのあらゆるものは時間をかけて作られています。(ダイヤモンドやゴールドが高価なのは採掘に時間が掛かるからです。)つまり時間はお金やモノなどあらゆるものに交換可能で、人間社会はひたすら時間を交換し合うことで成り立っていることから、時間は人の命そのものだと言えます。

その「命そのもの」である時間を投げ捨てる行為である自殺を、著者は厳しく非難しています。発達障害者である私は何度も自殺を考えましたし、今でも自殺願望は頭の片隅にありますが、著者の言う「人生はマルチエンディング」との説を信じて、もう少し頑張ってみようと思います。

時間>金である

先述の通り、人は自分の時間を売ってお金を得ていますが、所詮お金や物は時間とあらゆるものを交換する際に介在する道具でしかありません。従って時間>お金なのです。失ったお金は働けば取り戻せますが、失った時間は何億円積んでも取り戻せません。

お金やモノ=自分が使った時間を形に換えたものであると考えれば、守銭奴やコレクターがいかに無駄であるかよくわかりました。使わないでおいておくだけの預金やモノなんて、時間の死蔵に他ならないからです。お金やモノは豊かな生活を送るための手段であって目的ではありません。私はお金やモノを溜め込むより、思い出や感動に重きを置いた時間の使い方をしたいです。

「好きなことだけして生きる」は欺瞞に満ちている

著者は才能について「同じことをするのに他人よりも短い時間でやれる能力」と定義しており、それ故に多くの作品を生み出すもので寡作の天才はありえない、と述べています。特に楽器演奏については大器晩成はまずありえない、幼児期から練習したものだけが名演奏家になれるとの事。これには15歳からドラム演奏を開始し、43歳の現在も初心者の域を出ない私は大いに納得させられました。初心者の域を出るには時間に打ち克つ人になるしかありません。いくら筋肉や脳や精神を使っても疲労せず効率も落ちない、上達するための時間を投入することに優れた人(=努力する人)のことです。

ところで最近よくインフルエンサー(特にスピリチュアル系の人たち)が、「これからは風の時代だ、好きなことをして生きよう」など抜かしていますが、これには前々から疑問を感じていました。そんなことができるのは一握りの天才だけだろう、第一、風の時代ってなんやねん、ただただ胡散臭いわ、と。著者も私と同じ考えのようで、「好きなことをして生きるとは欺瞞に満ちた言葉だ、第一誰もが自分の好きなことをしたら、インフラやスーパーに並ぶ食料品は誰が提供してくれるのか。」と、バッサリ切り捨てているのにはスカッとしました。

自分が凡人であることがはっきりした以上は、「好きなことをして生きる」などフワフワした胡散臭いことを言わず、現在の自分の仕事を好きになり、仕事から得られる達成感を感じようと思いました。

人類の歴史は時間との戦いの歴史

人類の歴史は時間との戦いの歴史であったことがよくわかりました。あらゆる道具は生きるために行う作業や苦行を短縮化し、楽しい時間を生み出すために作られました。また、時が経つにつれて薄れていく記憶を知識として残し、他人に伝えるために言葉や文字が生まれ、あらゆるテクノロジーの基礎となりました。絵や写真などの芸術も、流れていく時間を留めておきたいという意識の表れです。「芸術は人類が時間をねじ伏せた証」という一文が心に刺さりました。今度美術館を訪れる際には、その事を意識しつつ鑑賞しようと思います。

しかし先人がこのようにして道具、言葉、文字、芸術、そして経験や知識を残しても人類は同じ過ちを繰り返します。その最たるものが戦争です。

いくら先人の知識を吸収しても、感情をコントロールできる知恵と自制心を身に付けるにはたかだか80年程度の寿命では足りない、これを著者は「時間の嘲笑」であると述べています。人類と時間の戦いは現在進行形で続いているのだなと思いました。

量刑は軽すぎる

盗みや殺人といった犯罪行為が何故いけないのか、これも「時間」の観点から著者は述べています。お金やモノは時間との交換で得られるものなので、それらを盗むことは時間を盗んでいることになります。また、殺人や「魂の殺人」と言われる強姦は、被害者の未来を奪っているだけでなく、それまでの人生で積み重ねてきた知恵や経験、つまり過去をも奪っていることになります。

それに対する量刑があまりにも軽すぎです。現在は医療も発達し栄養状態も良くなっているのに、現行刑法は明治時代と変わっていないのは明らかにおかしいです。30歳で殺人を犯し懲役20年の刑を受けても、刑務所から出所する頃にはまだ50歳、平均寿命まで生きるとしたらあと30年あります。

また、刑務所の環境が良すぎるのも良くありません。著者は囚人にテレビや本を見せるなと述べていますが、全くその通りです。なぜなら退屈は「有限である時間が全く無駄なものとしてなくなってしまう」状態であり、人間にとって一番の苦痛であることから、囚人には退屈な時間を与えるべきであって娯楽を与えるのは罰を与えていることにならないからです。

まとめ

人間のあらゆる営みを、「時間」を軸にして考察する点が斬新でしたし、著者の主張にも概ね同意できました。文章もベストセラーを何作も出している著者だけあって非常に面白かったです。中でも「共産主義は優れすぎていて、知恵と自制心を備えた人間でないと使いこなせない、それには80年の寿命では足りない」という主張は著者らしいなと思いました。少々こじつけすぎのような気もしますが。

私はこれまでたくさんの時間を無駄にしてきましたが、今後は以下のことを意識しつつ、時間を大切にして生きたいです。

  • 生きるために行う作業や苦行は短縮化し楽しみの時間を増やす
  • 感情の鈍麻は人生を短く感じさせるので、記憶に残るイベントを増やし、心を常に新鮮に保ち、驚きや感動のある日々を送る
  • 能動的に時間を使い、時間を潰すことはしない
  • やるべきことの優先順位を間違えない

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